2017年8月3日木曜日

三度目の日本は在るのか?


「知価革命」でその先見性について、当時感動した私はすっかりファンになってしまった感がある堺屋太一氏。「豊臣秀長」も良かったが、元官僚で元閣僚ともなれば、今の閉塞感が漂い、且つ向かう方向性が違う政治を疎ましく思っているに違いない。そんな想いが詰まったのが、「団塊の後 三度目の日本」:堺屋太一氏だ。小説の形はしては居るものの、2025年というオリンピック後の日本を想定した日本復活劇のシナリオにも見える。登場人物は改革を進める徳永総理大臣を始め、明治維新の準えた坂本龍真、岩崎弥多、中岡慎二、井上香里、等、華々しい。氏曰く、戦後80年の官僚政治の本質は「国民人生の規格化、流通の無言化、東京一極集中であり、抵抗封じに食品の輸入規制やら高価格維持、補助金やら公共事業のばら撒いてきた」と。そして、2025年の日本は5年連続のマイナス成長、貿易赤字は拡大、輸出も低迷、自動車産業もガタガタ、下流老人の増加も深刻で空き家が益々増加している風景だ。そして、安全・安心・清潔・正確な「天国」に成り過ぎたと指摘する。そして、それが人間本来の持つ3Y(やる気、夢、欲)ない社会を造っていると。それを打破するには?と、物語が進んでゆく。冒頭で述べたように政治に直接関わった経験からその提案は具体的であり、大胆でもある。2025年と言えば、遠いようにも見えるが、数年先の事。こうした提案を幾つか出し合い、明日の日本を議論する場が在っても良い様にも思える。氏の提案の概略を紹介すれば、その核は明治維新の藩から統一政府の改革とは真逆の方向付けであり、二都二道八州化の日本改革なのだ。そして、それを機に消費税等の移管を視野にした税財政改革も並行して議論されてゆく。果たして、こうした内圧的な動機付けで日本人が自ら主導的に動くか?について、私はやや懐疑的ではある。但し、氏の予測した「知価革命」の知価を情報もしくはデータと置き換えれば、今や情報こそが貨幣を上回る存在として、その勢力を増大させつつある。従って、日本の改革も大なり小なり、行う時期に至っているのも事実なのだ。はてさて、支持率の低下を来した現政権にこれほどの改革が出来るとは思えないが、袋小路に入った感のある日本社会の脱出劇を我々は真剣に考えなくてはいけない時期であることは確かだと思うのだ。



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