2017年8月10日木曜日

EVなる脅威


表題は何も、HVやPHVで環境問題を解決しようとしている日本メーカーの懸念ではない(もちろん、内心では嫌な想いはしているだろうが)、もちろんデイーゼル車で昨今偽証問題にあくせくしている欧州メーカーの懸念でもない。

どちらかと言えば、政治的道具もしくはEVという単純明快(少なくとも既存の内燃エンジンを使用した車に対して)な産業をいち早く立ち上げ、環境改善と同時に巨大な自動車マーケットを席巻したいという中国や米国の一部企業家の想いが目立つ。これに輪を掛けているのが、昨今の英国やフランスのEV推進(と言うか、脱ガソリン車、脱デイーゼル車)の動きだ。日本は主流メーカーの圧力からHV→PHV→果ては水素自動車の方向で環境問題をクリアしようとしているが、水素の扱いのハードシップが高い事を知る私としては、どうみてもごり押しの戦術に見える。故に、EVをその戦略の主流とする中国(彼らは生産台数もさることながら、販売台数も半端ではない)と欧州、更には米国の大企業家の連合軍を前に、日本は旗色が悪いと言わざるを得ないのだ。まともあれ、そうした企業戦術はここでは深く立ち入らずに、経済新聞のコラムに掲載されていた別の懸念を紹介しておきたい。その一つは増大するEVの主要部品である。電池の原材料の手配は如何にするのか?二つはいずれ劣化する電池の廃棄処分は如何にするのか?三つは充電用の発電所は増設するのか?等だ。だが、コラムが述べる一番の懸念はEV化による雇用の喪失だ。かの大国の大統領が一番懸念する課題が猶更浮彫りになるのだ。但し、鉄鋼がそうであったように、そして、現在スマホの殆どが中国や台湾で大量生産される現実を見れば、その懸念がかなり正しいだろう。ロボット、AIの将来の雇用影響も含め、科学の進歩は慎重に推し進めないと、利便性は向上するが、衣食住の基本的生活レベルの低下を招くのではあれば、元も子もないのだ。EVはある意味で電力のケーブル代わりになるとは、とあるセミナーで聞いた電力会社の方の第三次電力革命の姿だ。要は電池を積んで移動する発電所にEVが見えるのだ。元々、EVに供給する電気自身の効率の議論のポイントにすべきだろう。中国の様に効率の悪い発電所で得た電気を使うEVは果たして、本当に環境に優しいとか言いかねるだろう。斯くも複雑な現象がEV反映の裏には隠されている。慎重な行動と発言が我々には必要な事に間違いは無いのだ。



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