2017年5月4日木曜日

待機という言葉が示す意味とは


待機とはWAITINGの意味であるから、待てば何時かはその利得やサービスを受けることは出来る意味を持つ。例えば、犬に対して「待て」は、目の前の御馳走を食べずに我慢しろという躾の一つでもある。だが、最近使われる待機なる形容詞はどうも実現不可能な意味合いが多い様に感じる。特に社会保障に関してである。一番、有名になったのは待機児童の問題。「日本死ね」で国会でも議論の俎上に載った課題だ。その保育園待ちの数、4万人強。将来を担う若者故に、各県市も優先事項として、その対策に追われている。この根底には、デフレ経済と失われた20年で生じた中間層の年収低下による、共稼ぎ世帯の増加があり、且つ、大都市への労働力の集中で、育児を陰ながら支えるべき親世代が住む地方との分離がある。よって、都会程、これは深刻な問題となっている。一方、それ以上に多いのが、待機老人。業界新聞のコラムから転記すると、この特養(特別養護老人ホーム)への入居待ち数は37万人だ。若干その数が減ってきているのは、入居条件を厳しくした結果らしいが、潜在的には2025年に、65歳以上の高齢者の20%(716万人)が要介護となり、要介護3以上の数としては7%(252万人)に膨れ上がるとの予想がある。詰まり、2012年にはその総数が200万人だったことから、やや頭打ちに見えるが、待機老人比率としては、約25%近くに当たるという悲劇でもある。

此処に又、シルバー資本主義が顔を出しそうではなるが、老いゆくものへの社会的包容力は、潤沢な国家財政があればこそであり、老いも若きも均等にその人生を謳歌出来る社会環境の長期的整備・維持こそが国家として果たす使命ではないかと思う。とは言え、自分の事はやはり自分で出来ることが、老人側でも果たす責任であろう。権利があるからこそ、それを我が物顔で行使するでは、砂漠のオアシスにある水も何時かは、先人たちの飲み干され、後から生まれた若者たちには残されない悲劇がやってきてしまう。極めて難しい議題だからこそ、避けては通れない問題であることに違いない。



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