2017年4月7日金曜日

運命を絵画で観る


先日、経済週刊誌に芸術関連の特集が掲載されていた。予想通りに、芸術とは食えない職業である事、権威主義である事、そして、日本はガラパゴス状態である事があからさまに書かれていた。確かに、食えない。これはイラストレーターとしての本音だ。小説の方がまだまし。多分、時流に乗ることがどちらも重要だが、絵画の方が数段難しいには違いない実感がある。逆にキュレーターだった過去をバネに、小説家に転じた原田マハ氏や、「運命の絵」の中野京子氏も、その一人になるだろうか。絵に触発され、あるいは絵に狂った絵師に触発され、物語を創ることは、ある意味で二次創造の世界ではあるが、又、それも芸術と呼べるのかもしれない。さて、冒頭での戯言はさておき、本の中で紹介される運命の絵は20作ほど紹介されている。まずは表紙には登場しているシェーフェルの「パオロとフランチェスカ」。中世時代の悲恋の実話がベース。

但し、双方が不倫の相手であったが故に、地獄に落ちた絵がこれに相当する。愛と死が同時背中同士にある運命の瞬間。次はビイクトルの「自画像」。不気味な自画像。片眼が溶け落ちているのだが、画家はこの絵を描いた7年後に喧嘩により失明している。運命が絵を描かせたのか?絵が運命を引き寄せたのか?その次はムンクの「叫び」だ。この絵は盗難に二度遭うと言う運命と、且つ4作も大きさの違う「叫び」が描かれている事、そして、精神病に罹っていたムンクがその治癒以降が全く、絵が描けなくなった事実もやはり、「叫び」の運命なのだろうか。官能的な作品はやはり想像力を刺激する。シュトウウック「スフィンクスの接吻」、モロー「オデイプスとスフィンクス」、更にはジョン・ウイリアム「ヒュラスとニンフ」等、文学者である氏の想像力を大いに刺激するのだろう。絵だけ見ていても、面白いが、その解釈を読むと、それ以上に絵の解釈が深まる。誠に贅沢な時間でもある。



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