2017年4月6日木曜日

米国でソフトヤンキーを考える



大国の新大統領が日々物議を醸す行動に出て、マスコミを賑わしているが、彼を選択したマジョリテイである白人中年の貧困さについて、経済新聞に解析記事が載っていた。その結論は地方に棲み付きながら、教会に自分の個人的自由を求め、結局は人生に絶えず失望し、薬物やアルコールに依存するのでは?という風景だ。更には銃自由社会更には、鎮痛剤と称した医療用麻薬の自由な入手環境は安易な自殺手法を助長しているとも指摘している。そして、これに追い打ちを掛けるのが、公的医療・失業支援の薄さで自己責任と言う名の過酷さの様だ。アメリカンドリームの裏には、失敗者には誰も手を差し伸べない競争社会の原理原則が存在しているのだ。では、ここで地方に根付き、同じく高卒程度で成功している日本のソフトヤンキーとの違いを考えてみる。日本も自殺者が多いが、それが地方で多いかと言えば、必ずしもそうではなく、中年一般であるし、寧ろ都会の方が比率は高い。更には無宗教故に、頼るべき教会も無く、地縁、血縁が唯一のセイフテイネットである。逆に都会は人口密度は異常に高いものの、土地代が高く、地縁、血縁を張るほど資産を形成するのは、かなり困難だ。それに比べ、田舎の土地代は安く、且つ相続&継続可能である故に、地縁、血縁を維持し易い環境にあるとも言えるのだろう。更には、経済格差が確かに存在するとしても、それが学歴という形でしか明快には現れず、第一、そうした知性の微々たる格差など元々、田舎に置いては気にしないのだ。故に、日本の地方に永く広く住む人々の方が、都会で狭いマンション等の中で押し潰されそうになっているよりは、ずっとマシという構図が見えるのだろう。但し、都会の利便性に目覚めてしまった現代の日本人にそれを唱えても空しい限りではあるのだが。


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