2017年4月1日土曜日

決して他人事ではないこと


「ルポ 希望の人びと ここまできた認知症の当事者発信」:生井久美子氏を読んでいる。今後の老後を考えると、認知症は避けて通れないゲートだろう。そのゲートを如何に上手に潜り抜け、現実の生活として活かして居るのかがこの本には沢山書かれている。ある意味では、そうした報道に応じるだけでも勇気がある方々だ。故に、我々はそれに真摯に耳を傾け、素直に自分の事として聞き取ることは重要だと思う。皆さんが語るのは、十年ほど前までは、痴呆と揶揄され、差別の対象にまでなっていた病気がある程度、社会的に認知症と改名され、誰でも起きるという真実が伝わった事で、自らもアルツハイマーであると宣言出来た事が大きかったと述べる。逆にアルツハイマーと宣言するがきっかけとなり、人生にも周囲の人にも素直になれた事が大きかったとも述べる。そして、もう一つはその消えゆき記憶を強力にサポートしてくれるパートナーだ。概ね、それは夫であったり、恋人であったりする。やはり普段から支え合えるパートナー育成?が必須であることの証でもある。又、信心の心が別な支えになるようだ。本中にはパスカルの賭けという事例があり、神や天国があると思って祈って置いた方が得であるという単純な発想だ。無いと思っていれば、それで終わり。もしあれば、ちゃんと天国に入ることが出来るからお得。そんな考えだ。軽くて明るくて良いと思う。そして、最後は認知症同士の交流だ。それは傷のなめ合いではない。素直に認知症を認め合う心の交流とそれにどう対処するかの貴重な情報交換の場でもあるのだ。但し、現実的には皆、当初は悩み、自殺まで考えたようだ。それだけ深刻な病気であり、人間を否定されるようにも思えるのだと言う。記憶を糧に行動パターン認識している現代人には、記憶を失って行くこと自体が死亡宣告をされたも同様に感じるのだろうと思う。

そして、最後はサポートすべき周囲の気配り、例えば、徘徊は不安解消歩行等、深く思いやりをもって理解することが重要と語る。何処かの前都知事が盛んに記憶に無いと弁明していたが、本当に記憶にないことで苦しんでいる人々が多く居る事、そして、その症状は何時でも誰でも、何処にでも発生することを知っているだけでも大切な一歩かと思う。是非、読んで、自分の事をして考えてみて欲しい本である。



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