2017年4月3日月曜日

訴求性のある電力自由化とは


経済新聞に電力自由化の1年目の通信簿が各見識者から述べられていて、面白く読ませてもらっている。その中で京大教授の訴求性あるセット料金が中々説得力がある。氏が指摘するように、自由化一年目で低減した価格と拡大したシェアは予想通りであり、そこそこの結果であるようだ。そして、その理由として期待されたほどの売値低下が無かった点を挙げている。これは私の目から見れば当然である。電気にしてもガスにしても、その多くは輸入される燃料価格とリンクしていて、余程の省エネ型の発電機を導入しない限り、売値の原点であるコストの削減は期待出来ないからだ。美しく、楽しいCMだけで売値が下がるのなら、これほど楽な商売はないし、それはまやかしだ。その意味で言えば、下がられる余地は固定費。詰まり、並列販売による人件費等々の経費削減が可能だ。これがセット料金という形で表現されることになる。但し、小売り側の電気と自前の商品との親和性が悪いと、無理が生じ、それほど値段を下げるには至らないという羽目にも陥る。今回それでも、価格が5%程度下がったのは、元々大手電力会社で占有していた市場故に人件費等も高めだったせいもあるだろうと思う。そこを長年虐げられてきたガス会社、あるいは競争社会で凌ぎを削っている携帯電話会社などに狙う打ちされたのだ。それをセット料金というマイルドな表現で取り進めているだけだ。よって、これはある意味では、電気(あるいはガス)販売の過当競争の始まりであり、一般消費者にとっては短期的には売電価格の低下というメリットはあるものの、長い目で見れば、従来大手電力会社から享受していたサービス(安定性、顧客重視性)はやや低下する懸念はあるのだ。確かに、氏の言うように、市場の自由化はサービス料金という訴求性の高い販売がカギを握るだろう。しかし、出所が同じの発電所を使う限りに置いては、幾ら親和性の高い産業の新規参入が可能になったとは言え、その値下げの裏側で起きるサービス劣化に関しては、決して安易な見解は述べるべきではないかもしれない。



0 件のコメント:

コメントを投稿