2017年5月23日火曜日

車という未来像を読む


業界紙によると、現在日本国内の自動車販売数は500万台。最近は若干増加傾向にあるようだが、10数年前にピークである800万台には遠く及ばない。一方、自動車保有台数は8200万台で、10数年前に較べると2400万台(+40%)に増加しているようだ。販売台数の低下は若者の車離れが良く話題に上るが、この失われた20年と呼ばれるデフレ経済&給与ダウンと強い相関があるだろう。逆に言えば、昨今のやや上向いている販売台数には、自動車会社が取り組むべき燃費であったり、安全性向上にようやく重い腰をメーカー側も取り組み出したことも大きいと推測している。一方、人口減少の中での保有台数の増加は買い替え周期の長期化が影響しているようで、乗用車で12年と、10数年前に較べると、実に2倍近くになっているのだ。尤も、それだけ耐久性が向上したとも言えるのだが、新しい車は必要ではないが、車自身は生活に必要不可欠であるという、あるいは、10数年前以上に必要になっているとも言えるのだろう。この辺りはおひとり様の増加や地方の過疎化とやはり関係も深いのかもしれない。但し、業界紙に書かれているように、一日平均の使用回数は高々平均1回であり、利用時間としても1時間を切っているのが現状だ。従って、少なくとも購入金額と維持費等から考えると、個人負担はバカにならないし、機械自身の設備稼働率から見えても工業的視野からすれば、過剰設備にしか見えないのは当然でもある。よって、昨今のIT技術と連携した、シャアリング経済の適用事例として、自動車を共有化する、あるいは自動車の駐車場を共有化するサービスが登場してきているのだ。これも又、保有台数は不変だが(あるいは下降するかも)、更に自動車販売台数は低下するだろうと、メーカー各社が危惧し、逆に積極的にカーシェアもしくはライドシェア企業と連携しようとする動きの理由が定かになってくる。加えて、昨今ではIT大手プラットホーム会社が主導する自動運転も、この流れに乗っていて、社会の置いて必要不可欠なる自動車の社会に置ける位置づけが、個人保有から公共へと拡大する仕組みを加速化するかもしれない。高が車、されど車。時代に変遷と共に、車も社会と共に変わり得ることを我々は知る必要があるのだ。



2017年5月22日月曜日

新動物占い一考


最近、書評に集中し、聊か持論を加えない、迫力不足のブログが増えていると自覚している。これもそれも、例のAI&BG恐怖で本音を書けば書くほど、筆者の生活や性格や考え方が丸裸になるので、これは怖いと思っている次第。又、書く事にも正確さが問われる時代。唯我独尊だけで論じるのも危険だ。よって、書評+アルファ的ブログが増えているのだと思う。よって、従来からの読者には不興を買っているかもしれないが、悪しからずである。で、今回はややサービスとして、下ネタで楽しんでいただきたい。以前、と言うか、2000年に動物占いが流行った。家人も参加し、何と二人は狼族であることが分かり、なるほどと互いに納得し合ったものだ。当時の評価は変わり者、個性豊か。発想家、マイペースでも仕切りは上手いと在った。で、家人曰く最近新たな占いが出たと。よりバージョンアップしたらしい。よって、占ってみると、狼でもかなり細分化され、より正確に性格や向いた職業を占ってくれる。今回は私が順応性の高い狼、家人は好感のもてる狼に分割された。総合的な性格は、以下の通りで、一人だけの時間と空間が好き、ペースを乱されるのが嫌い、自分しかできない事で№1を目指す、自己流を持っている、初対面ではとっつきにくい、言葉足らずの所がある、臨機応変の対応は苦手とある。なるほど。更に、すぐメモを取る癖がある、唯我独尊、人まねをせず、「変わってる」と言われると実は嬉しい、らしい。確かに当たっている。途中を吹っ飛ばし、適職を見ると、私に場合は、薬剤師、司法書士、作家、音楽家、コンサルタント、茶道・華道の師範、ペンション経営、旅行会社、画廊、ファッション業界とある。嬉しい事に作家が入っている。コンサルタントも向いている気がする。音楽家もやはり嬉しい。もうギターもフルートも長年触れていないが。家人の場合は、意外に堅い。警察官、検察官、医師、画商、宝石商、ブティック、マンション経営、広告代理店、コンピューター関連、金融業、農業となる。彼女の場合はブティックが向いていそうだ。因みに、これから人生も性格も周囲に依存しそうな愚息は、フットワークの良いコアラだ。

適職は添乗員、作家、宗教家、占い師、国家公務員、水商売、人事・総務関係、保険会社、化粧品会社、料理業界とある。本人はiPADで結果を凝視していたので、これからの人生に参考にするだろう。自由闊達・創造的な両親の間に生まれた愚息が意外に人事やマネージメントに長けていると言うのは、面白い結果だ。荒れる夫婦関係の煽りを受け、自然とその間を融和させる為に産まれ出たとすれば、神様、否、遺伝子DNA様の先見の明は相変わらず、正しく、厳しいと感じたりしている。ホームページを検索すれば、無料で占いが出来る。必要なものは生年月日だけなので、イージーだ。話題の欠けたカップルやファミリーにはうってつけかもと。さて、皆さんの結果は如何に?



2017年5月21日日曜日

2017(平成29年).05.21書評

先週の評点:
「国旗で知る国際情勢」(◎):マーシャル,ティム、Marshall,Tim、「理解するほどおもしろい! パソコンのしくみがよくわかる本」(〇):丹羽信夫、「ブリューゲルの世界 (とんぼの本)」(△):森洋子、「日本犬の誕生」:志村真幸、「絵でわかる地震の科学 (KS絵でわかるシリーズ)」(△):井出哲、「尖閣諸島と日中外交 証言・日中米「秘密交渉」の真相」(〇):塩田純、「姥捨て山繁盛記」(〇):太田俊明、「産まなくても、産めなくても」(〇):甘糟りり子。
ノンフィク:7、小説:2。ウェルバランスの積り。ノンフィクがいずれも不作。その分、小説群は奮闘しているか。
今週のお題:
「100歳までクルマを運転する」:桃田健史、「薬はリスク?: 薬を正しく知るために」:宮坂信之、「誰が日本の労働力を支えるのか?」:寺田知太,上田恵陶奈、「茨城vs.群馬 北関東死闘編」:全国都道府県調査隊、「管見妄語 知れば知るほど」:藤原正彦、「夜の谷を行く」:桐野夏生、「キトラ・ボックス」:池澤夏樹。
ノンフィク5、小説2のウェルバランス?
エッセーでは久しぶりの藤原氏登場。辛口批判が骨身に染みるか?小説は大御所二人、毒と希望。そんな色合いを作風の特徴とする両氏の対決は如何に?
近況:
兎に角、お疲れ様である。今週は飲み会2、来週は国内出張と体力勝負が続く。大丈夫かなあ?ほぼ2週間分を先駆けて創作した貯蓄分で何とか、乗り切りたいと思っている。




2017年5月20日土曜日

フラッグという魔力を知る


「国旗で知る国際情勢」:マーシャル,ティム、Marshall,Timを読んでいる。世界193か国には当たり前の様に、国旗があるが、その歴史はさほど古く無い様だ。標章自身は古代エジプトでも存在したが、重くて実用(要は持ち歩いたり、掲げたりする)に向かなかったらしい。それを今のフラッグとして流通させることが出来たのは、中国人による絹の開発以降だ。更にそれがシルクロード経由でアラブ世界に流通され、十字軍の戦いを通じて、ヨーロッパに渡り、それが戦場で使われ、海上の信号としても用いられ、最終的には国家のシンボルと化した歴史は中々面白い。氏は全ての国旗について論じるのではなく、特徴的且つ関心を惹かれるものに特化して、説明を加えてゆく。読者の方はまずは表紙に掲載されている実物を目で確認してから、それらの類似点から相違点、更には特徴を頭に置いて、本書を読むと良いかもしれない。章は1.星条旗、2.ユニオンジャック、3.十字と十字軍、4.アラビアの色、5。恐怖の旗、6.エデンの東、7.自由の旗、8.革命の旗、9.よい旗、悪い旗、醜い旗と分かれている。どの章も面白いが、やはり自分にとって馴染みが在ったり、あるいは暮らしたことや訪問したことのある国の旗には、関心が集まるのは当たり前かもしれない。その意味から私は屡々訪問した米国:1章、英国:2章の国旗の変遷が面白かった。又、良く注意しないとどの国がどの旗か?が混乱してくるのが、欧州の似通った旗だ。:3章。英国離脱で右往左往する現時点での欧州の背景が、何となく感じられ、ヨーロッパ大陸という名前だけでは、人々を一つに束ねるには無理があると思わせる。4,5章で重なるアラブと過激派のフラッグは意外な事に類似性があり、且つイスラム教に強く依存する傾向を示している。特にサウジ国旗のシビアな管理(反旗は許されず、Tシャツ化も神への冒涜と見做されるらしい)は未だ、近代国家として未熟な王国支配の片鱗を見せている。肝心の日本は6章に登場する。中国、韓国のその後だ。しかも、最近サッカーの試合等の応援に使われ、問題視されている旭日旗も並列扱いされ、第二次世界大戦での戦争時の蛮行に対し、かなり激しい批判の言葉が加えられているのは印象的だ。氏は英国出身のジャーナリストだが、これが恐らく一般的な欧米諸国の旧日本軍への侮蔑と嫌疑のイメージだろう。そして、又、冷静に日本国旗が1999年にようやく公立学校で掲揚されるに至るまで、多くの抵抗があったことを、日本人自身真摯に学ぶ直す必要があるだろう。高がフラッグ、されどフラッグ。国民の感情を支配し、揺り動かすまでにその魔力を携えた国旗に、改めて独自の視点で解析を行った氏に改めて敬意を表したい。



2017年5月19日金曜日

妊娠なる重荷を担う事


「産まなくても、産めなくても」:甘糟りり子氏を読んでいる。まさに表題にあるように、女性の妊娠を中心とした短編集だ。氏は既に50歳の超えた熟女であるが、その分色々な人生を苦く、甘く描き出してくれる。主人公のラインアップは以下の通りだ。女性の、ヤリ手弁護士&オリンピックを目指すランナー&元人気サロンの副店長&観葉植物の販売会社社員&アパレル社員、男性の無精子症の建築士&アパレル社員と多彩だ。しかも、最終章は未来を見据えた作品であり、時代の先まで読んでくれている。有難い。どの章にも共通するのが、妊娠であるが、その過程に至るまでのストーリーが多彩なのだ。如何に女性が妊娠という世間の責務に耐えているのかが、強く感じ取れる作品となっている。女性であれば子供が欲しいと思うのは当然としても、色々な形でのチャレンジがあっても良いという事を氏は作品を通じて訴えている気がする。更には、昨今の近代医学にも触れ、卵子凍結、ホルモンコントロール、人工授精、無精子症、流産、不育症、養子縁組、人工子宮と未来系まで加わる。今や、晩婚及び高齢出産が当たり前の日本でも、依然としてその手前で不妊で悩んだり、あるいは夫婦としての在り方に立ち戻ったり、母子家庭で生活苦に苦しんだり、それぞれだ。産まないという選択肢も、産めないという現実も一つの社会の構図だと思う。産まれてくる子供に責任は無い分、親となる大人は自分の人生だけではない視点で、長い人生を見詰め直す必要があるのだろう。女性は妊娠して当たり前、あるいは、子供をもって一人前。そんな旧態然とした世間の常識に苦しむ女性たちの姿、あるいは無精子で男としてのプライドを打ち砕かれる男性の姿も又、弱い人間の模写であり、まるで現実に存在するかのような臨場感をもって、物語は展開してゆく。幸か不幸か、私自身は子供にも恵まれ、それなりの人生経験も積んでも来たが、当初は女の子だけしか出来なかった時は、周囲から何気ない中傷を受けた記憶がある。最後に、奇跡的に愚息を得たのは出来過ぎでもあるのだが、それも又、人生の面白い所だろう。願いは叶う。どんな形であれ。そう思うし、そう思うべきだと思う。小説というある意味での人生シミュレーションを読みながら、自らのライフストーリーを見直す事も一つの読者の喜びでもあると思う。



2017年5月18日木曜日

やや劣勢な犬に思いを寄せ



このブログで、ペットとしての位置づけは、最近猫>犬の傾向の様で、猫好きを任じる人々に、犬好きな人々はやや劣勢である。しかしながら、その数は1千万頭と呼ばれ、バカにならない数でもある。そんな状況下で見つけたのが、「日本犬の誕生」:志村真幸氏である。日本犬のルーツから現状に至るまでを克明にレポートしているので、興味深く手にした次第。章は1.ルーツであるニホンオオカミはいつ絶滅したのか、2.ジャッカルと日本犬、3.本来の「日本犬」を求めて、4.明治期の日本犬たち、5.保存会と天然記念物、6.昭和初期の日本犬、7.朕と高安犬、8.戦争との関係に分かれている。まずは、日本犬のルーツと称されるニホンオオカミの絶滅は明治38年、それまでは心霊深き高野山に生息していた由。別名、ヤマイヌ。これと対比されるのが、2章の野犬と呼ばれる別種。いわゆるジャッカルだ。結論から言えば、飼育試験により、ルーツは日本犬のルーツはやはり、狼だと結論付けている。要は日本人のルーツさえ、北方から南方まで4通りの流入説があり、定かでないのは、以前このブログでも紹介した通りだ。故に、1ペットの存在である犬に関しても、その本質的なルーツは定かでないと言う所が事実ではないかと思う。但し、4章以降に述べられるように、明治期に大量に輸入された西洋猟犬の台頭が、逆に交配され、衰退してゆく純粋な?日本犬への見直しを促進し、認定保存会まで出来上がるのだから、肝心の日本に居た犬にしてみたら、やってられない気分?ではないかと思ってしまうのだ。今更、自分が雑種か、それ以外かなど、人間の勝手な差別だからだ。そして、当時の尊敬に値する皇太子が秋田犬を狩猟用として活用するようになってから、それまで西洋犬一辺倒だった日本が、にわかに日本犬へと回帰してゆく様は何とも微笑みがたいものがある。そして、明治後期になって、ようやく正式に、氏がその決定の過程が恣意的かつ偶然と称するように、秋田犬、甲斐犬、紀州犬、越の犬、柴犬、四国犬、北海道犬が唯一無比の日本犬となる。ちなみに、秋田犬は当初は闘犬としてかなり雑種化が進んでいたため、その系統は分離され、「忠犬ハチ公」で一躍人間に忠実な気質の日本犬としての地位を高めてゆく。一方、日本人が勝手に海外から日本犬と認定されていたにも関わらず、認定から外した犬に、狆があり、他国産であるという根拠に依る。更に暗い戦時中には、軍用犬の需要が増すが、それらの多くはシェパードを中心とした外国犬であり、日本犬はここでも肩身の狭い思いを強いられ、毛皮の活用にのみ使われたと言うのだから、人間の身勝手さには彼らも閉口した事だろうと想像してしまう。残念ながら、戦後の犬史には氏は触れずに、本を終えてしまっているが、少子&高齢化社会の到来で、傍にじっと寄り添ってくれるペットの存在は、今まで以上に、人間にとって重要な癒しと感情の共有化出来る、かけがえのないものにまで、昇華している。これも時代の反映と言えばそれまでではあるが、一方では捨て犬による野犬化、更には駆除といった哀しい運命に遭っているのも犬や猫たちでもある。過去から人間の勝手な取り扱いで右往左往しなければならない、弱い立場の彼らを知る事こそが、本来の家畜化したペットとの正しい付き合い方を学ぶ機会となれば幸いでもある。


2017年5月17日水曜日

未来の予想図とは哀しいもの


「姥捨て山繁盛記」:太田俊明氏を読んでいる。日経の小説大賞を受賞した作品だ。読む前から、各選定作家のコメントを新聞で読んでいたので、外郭は分かっていたし、氏の経歴や作品に対するコメントも分かっていた。それが影響したのか、あるいは年齢が近い事から来る共鳴感も重なりながら、楽しく読ませて貰った。作品の主題の様に、主人公は定年後の高齢者であり、認知症を抱えておる。彼の再生の話でもあり、彼が関わる寂れる一方のダム建設予定村をベースとした現代日本の課題と対策についての、再生ストーリーだ。勧善懲悪型で描かれている小説なので、読後感も爽やかではあるが、やや不満が残る。それは高齢化社会の行く末を、成長無き高付加価値追求型の経済を成功事例として掲げている点だ。確かに、氏が語る様に、年金で裕福に暮らす老人の介護を低い給与として請け負う若者たち。それはシルバー資本主義の格差そのものである。あるいは、公共事業を高度成長発展の礎にしてきた官僚体質とそれに依然として依存する地方行政の歪んだ関係も、やはり類似事例として多く存在するだろう。だが、それを解決するのは、やはり当事者である若者でなくてはいけないし、そうで無ければ、一時的な窮余的救済でしか在り得なくなるからだ。氏は自分を投影した高齢者をここに配役し、ある意味でのヒーローに仕立てているが、逆に言えば、年金生活に入った暇人であるからこそ、出来る事なのかもしれない。もっと、やるべき事があるはず!という強いメッセージなのかもしれない。今、政府は年金支給年齢の延長や雇用年齢の上限撤廃とか、高齢者が働くことをより鮮明に打ち出そうとしている。それはそれで正しい選択だろう。労働人口が減少し、一方で高齢社会を維持するのに十分な国家財政が不足しているのも事実だ。そうなる前に、もっと高齢者よ、自ら動けというメッセージかもしれない。現に氏は一般?のサラリーマン人生後にこうして作家としてデビュー出来ている。それも又、この物語の裏に隠された、強い中年応援メッセージなのかもしれないと感じたりしている。