2018年2月20日火曜日

失われつつある30年


業界紙のコラムにビル・エモット氏の「日はまた沈む」の紹介があり、日本は既に20年失い、更に古色蒼然(これは私が修飾)としたアベノミクスにより、更に+10年失うのでは?と懸念している記事が載っていた。その原因の一番が社会の隅々まで硬直性が浸透していると言う事で、その処方箋として、三つのケースが在ると。1)利害を超越して各部を牽引する強い指導者、2)外部からの刺激、3)各部分が試行錯誤で全体の回復に資する、だと。コラムリストに依れば、日本に向いているのは3ではなかろうかと。要は若者と地方の力を解き放つ事で日本再生を期待するというメッセージだ。流石に、政治家や官僚もバカではないので、アベノミクスの旧態然とした施策の限界とそこに隠れるきな臭い権力志向や保守意識に反発の意見も散見されるようになっている。一部は文部省絡みのリーク事件だし、昨今では自民党からも財政健全化といった視点への注力も要求が出始めている。国民の税金で成り立つ財政は一体誰の為にあるのか?成長が財政を支えるのは確かである。しかし、高度成長時代のような奇跡は起こり得ないのであって、疲弊する若者や地方の掬い上げこそが、将来の日本を立て直す起爆剤になると思うのは私も同じだ。経済格差が貧困を呼び、それが弱者である若者や地方へと波及するのは、歴史が常に語るストーリーだ。そして、それは中央集権への疑問と猜疑を引き起こし、結局は権力闘争及び革命へと繋がるのは、日本の歴史の中でも散見される。貴族から武士、 武士から町民という大きな民主主義を成し得て来た我が国である。皆、高々町民に過ぎない政治家、官僚も含めた国民すべてが、基本的人権を保障され、且つ平和に豊かに生活するための自由を保持することが民主主義の骨子だ。それ故に、常に少数派に属する若者や地方の自立及び自発的な成長気運こそが、今の日本に必要なことなのだろう。そして、又、国もそうした所に、財政をシフトさせ、大企業や高齢者も含めた既得権者への傾斜を改める時期でもあるのだと思う。



2018年2月19日月曜日

シャッター街の実像


「メガネと放蕩娘」:山内マリコ氏を引き続いて、面白おかしく読んでいる。中々の作家だ。自分の経験だけではなく、関連する多くの書籍を読み込んでいる。そして、地方都市の衰退とその再生について、昔栄華を誇った商店街の本屋の長女と次女を主人公とした物語に仕上げている。決して、お涙頂戴の廃れ行く商店街の成り行きではなく、どうしてシャッター街が出来たのか、そして、それが何故再生できないのかを、再生しようと孤軍奮闘する姉妹の活躍を通して、問題提起している。そこには高度成長期の光輝く商店街の過去と、今ではその面影さえ無くなった古びたシャッター街通りの現在が対比を軸に、既得権に縋りつく旧店主たちの実像も露わにしながら、その再生の難しさに言及している。マスコミが取り上げる悲惨なシャッター街という創られたイメージとは違って、店=自宅の旧店主たちにとって、閉店はある意味での定年退職に当たり、年金で十分食い繋がる高齢者たちのしたたかさの結果でもあるのだ。又、そうした閉店を嘆く前に、その後の世代が結局は都心に憧れ、商店街の維持・活性化に貢献しなかった事も反省点であると、氏は物語の中で語る。それは姉妹の両親が書店を閉店する段になり、やはり自分たちが継げない厳しい事実に直面させることで、時代の当然なる流れを暗示させるのだ。もちろん、姉妹の活躍には多々参考になるものが多く、地元の学生を巻き込んだ活性化や商店街の住民たちとの積極的交流、更には近代的SNSを活用した広告宣伝や資金繰りも繰り出し、あの手この手で、街の活性化に奮闘させる。その躍動感はわくわくさせるが、氏はしっかりとそれに対抗する悪役を用意し、それを阻む時代の流れを冷静に描いてゆく。人口減少と高齢化の中で、シャッター街はその象徴を揶揄されることが多いが、むしろ彼らがある意味での成功者であり、以前悠々自適に生活出来ているという側面こそが、通り一辺倒にその衰退ばかりを煽るマスコミのレポートとは違う、この小説の凄さだと思う。ダメ元でも何処かの商店街をもう一度再生してみたくなる気持ちにさせる良書である。



2018年2月18日日曜日

2018(平成30年).02.18書評

先週の評点:
「ライフ・プロジェクト」(◎):ヘレン・ピアソン、 大田 直子、「 緑の庭で寝ころんで」(△):宮下奈都、「138億年宇宙の旅」(◎):クリストフ ガルファール、 塩原通緒、「痴漢冤罪」(〇):新堂冬樹、「メガネと放蕩娘」(◎):山内マリコ 、「それ自体が奇跡」(◎):小野寺史宜。
今週のお題:
「奨学金 借りるとき返すときに読む本」:埼玉奨学金問題ネットワーク、 柴田武男、「管見妄語 常識は凡人のもの」:藤原正彦、「裁判の原点:社会を動かす法学入門 (河出ブックス)」:大屋雄裕、「絶滅危惧種ビジネス:量産される高級観賞魚「アロワナ」の闇」: エミリー・ボイト、 矢沢聖子、「トコトンやさしい宇宙線と素粒子の本 (今日からモノ知りシリーズ)」:山﨑耕造、「世界で一番のクリスマス」:石井光太、「そのバケツでは水がくめない」:飛鳥井千砂。
近況:
世の中はバレンタインデイ。一応、私にも義理チョコが毎年やってくる。そのお返しにとばかりに、家人もせっせと送っている。贈答が日本のある意味でのコミュニケーションの一つとは言われているが、年がら年中イベントがあるのもどうかな?などと思ったりしている。一方の愚息は試験の出来が悪かったらしく、一家で落ち込んでいるのだが、何と、本命チョコを何処かの美少女(私が勝手に想像)から貰い、鼻の下を伸ばしている。試験は落ちても本望!なんて事は言わない。照れくさくしてしょうがないのだろう。それにしても、終の棲家選びには時間と労力が係るものだ。現状維持、それが一番簡単を問題の先送りをしたくなるのは、凡人故のだらしなさかも。

2018年2月17日土曜日

E=mC2で描かれる時と空間


138億年宇宙の旅」:クリストフ ガルファール、 塩原通緒訳を読んでいる。

主題の1式しか難しい方程式は登場させないからと約束して、氏は相対性理論を噛み砕いて説明してくれる。私にとって、今一番関心事は、時。時も相対なる存在である事を主題の式は語っているのだが…章は1)コスモス、2)宇宙の筋道、3)高速の世界、4)量子の世界に飛び込む、5)時空の起源、6)予期せぬ謎、7)わかっていることの一歩先へと分かれている。氏は500ページもある長文に飽きさせないように、読者を宇宙や飛行機の旅へと誘い、簡易に近代物理学の学習を進めてくれる。ユーモアもあるし(でも、米国流のユーモアだから、やや難解?)平易に語ってくれるので、これ以上詳しい説明は在り得ないだろう。だが、イメージが湧かない。情けないけど。但し、氏も言うように、ホーキンス博士に師事受けた時に、何度も理解を超え、胃薬が手放せなくなったと言うように、自分のなりの解釈を身に着けないと、多分ダメだろう。氏は理解を進めようと、余分な絵も図も、そして方程式も用意しなかったので、頭に描くイメージが重要だろう。その意味では、重力特にブラックホールのイメージは以前読んだ日本書籍の方がベストだと思う。あの平面に重いボールが沈み込んだイメージ図は、空間のひずみを感覚的に上手く表現していると思う。氏はそれを滑り落ちると表現しているが、良く似た表現だ。では、肝心の時はどうか?これはあくまでも相対的なものであるとしか、説明できていない気がする。又、光以上早いものが存在しないという理屈も中々納得がいかない。更に、この全ての空間に素粒子が満ちていて、そんな世界に我々は存在する素粒子の集合体であることも、未だイメージが不十分だ。但し、氏は注目度の高いノーベル賞をベースに、その事例紹介してくれるので、あ~あ、そんな重要な発見だったのか!と感動し易くしている点も見逃せない。このブログの読者には申し訳ないが、これからも何度となく、色々な書籍を見つけては、生命の誕生とその原点である宇宙の謎については、自分なりの理解や疑問を紹介してゆきたい。そして、何時かは堂々と自分なりの世界観、生命観、宇宙観を持ってみたいと願っている。その意味で、この本はそれをサポートする重要な書籍に間違いないと思う。



2018年2月16日金曜日

仮想通貨と言う罠


最近のホットニュースで仮想通貨が大量に流出したと言うものがあった。数百億円だから、それは大きい。今や、仮想通貨投資は過熱し、中国・韓国等が取引禁止した為に、日本人がその4割を占めるようになったと報道されている。以前、FX投資でミス渡辺さんが有名だったが、この仮想通貨でもミスター、ミス等々の投資家が多数存在したのだろうと思う。何しろ、利率が%のオーダーでは効かず、数割を超えるのだから、このデフレ経済に苦しむ日本人各位がそれに熱くなる気持ちが分からないでもない。昔1万円投資した先駆者が今や億万長者であるとの神話は30~40代の投資家を魅了して止まない様だ。この報道を聞いて、愚息は良いなあ~、お金が世の中の全てだもんね~と人生を達観視したようなコメントを吐いていたので、人間の身の丈を超えたお金を持つと碌な事がないものだぞ!と一応反論。が、やや空しいのかも。一括千金という金鉱堀り(実際、この仮想通貨はマイニングというデータ処理を行う)のハイリスク&ハイリターンの原則のどちらを見るかで、勝ち組になるか、負け組になるかは決まってくるに違いないのだ。ハイリスクにチャレンジする意欲を勇ましいと評価するのか、ノーリターンという憂き目に遭った人を不幸もしくは負け組と愚弄するのかは、時の運でもある。尤も、一部報道にもあるように、取引所の幹部はしっかりと自己預金は確保していたと言うから(多分、自己サーバーを持ち、共通サーバーとは隔離していたはず)抜け目がない。リスクを取るにも、十分な下調べと緊急対応策も考えておくのが、プロのチャレンジャーとも言えるのかも。現在、先進国は低成長に直面し、その余剰資金の運用に四苦八苦している。その結果、株式や不動産の価格が異常に高騰している背景でもある。その極端な事例が仮想通貨の高騰なのだ。しかも、従来の金融機関を経た投資手続きの煩わしさが全く無い分(少なくともスマホ一丁あれば投機は可能)、チャレンジも容易なのだ。IT時代のある意味、申し子的仮想通貨。付かず離れず、そんな立ち位置で様子を伺うのが当面の私の戦術でもある。



2018年2月15日木曜日

奇跡は起きる、きっと


「それ自体が奇跡」:小野寺史宜氏を読んでいる。中々良い小説だ。多分、現実的ではない。が、在っても良いストーリー、否、在って欲しいストーリーだ。

主人公は三十過ぎの百貨店員。経済学部出身のくせ?に、経済の事が分からない。得意なのは人付き合いとマナー?そして、体力。割れ切った腹筋がそれを如実に示している。奥さんは会社の同僚、でも、高卒だから職歴は上。そして、出来る。主人公の周囲には良き友人が居る。男3人と女1人。これも理想だ。私には女性の友人なんか存在しない。で、氏は多少其処に色を付けている。尤も、愚かな恋愛には昇華させない。主人公はとある日、サッカー(元々高校からずっとスター選手になる事を追い求めていた)の3部昇進を目指したクラブ活動への参画を求められる。燃え切れない職場への違和感、そして燻る青春の想い出が交差して、主人公は本気でサッカーに埋没してゆく。その間に、奥さんには恋人が出来、職場では浮足立ってくる。まさに人生の転換期を迎えるのだ。結末はここでは紹介しない。でも、そんな人生の分岐点が大なり小なり、存在するものだ。それをどう乗り越え、あるいはどう処理し、どう見逃し、どう諦めたのか?是非、思い出して欲しい。そんな時、良き伴侶(理解が在って、自分自身の人生にもポジテイブな人)と良き友人(男女とも、貴方の事を理解し、相談に乗ってくれる人)と救いの手(主人公の転職先の上司)があれば、きっと人生は大きく変わったはずと。だからこそ、氏は奇跡と書く。三十過ぎて、一番体力が必要なサッカーなどに本気で取り組むバカは居ないし(少なくとも順風満帆なサラリーマン生活をフイにする選択肢は無いだろう)、好意を寄せてくれて思わずよろめきそうになるのをさらりと躱せる奥さんも居ないだろう。そして、そんな奥さんの旦那である主人公をバックアップしようなどと考える草食男子も居ないはずだ。でも、居て欲しい。奇跡のように、そんな素晴らしい環境があれば、再生できる。そう思う。そして、それはきっと奇跡なのだと思うのだが。



2018年2月14日水曜日

都心という魅力を再考す


先日、日本の人口の流出入バランス統計が発表され、相変わらず東京都心が独り勝ちが続いているというニュースが流れていた。何処かの政治家が地方創生なんて言葉を空しく並べていたが、現実は中々そうはならない。今、読んでいる「メガネと放蕩娘」:山内マリコ氏もそんなシャッター商店街の話だ。何故、普通の田舎街に魅力が感じられないのか?そんな悩みに元商店街の本屋の娘が挑戦する物語だ。軽妙な語り口に思わず、読み切ってしまったが、私自身が抱える終の棲家考察にも影響してきて、悩ましい限りだ。丁度同時期、発売された経済系週刊誌には、勝ち組不動産、負け組不動産なんて刺激的テーマ名で、都心、準郊外、郊外のランク付けを鉄道路線毎に発表していた。今、其処に住んでいる住人やあるいはマンションでも購入予定の読者には、とっても気になる案件だと思うが、やや私には不快だった。何故なら、都心が勝ち組で、郊外が負け組という位置づけだ。それは人口も減る、新規事業も減る、当然県市の財政も先細りする、故に、それは負け組という論法はある意味正しい。朽ちた橋や水道管が修理出来ない自治体には、快適には住めなくなるのは道理だ。でも、日本人全員が都心に住める訳ではない。それに、そうやって煽るから、又都心の不動産価格だけが突出してアップし、益々一般庶民には高値の華になってしまうのだ。そうは言えど、私も今探す脱郊外(郊外すら買えない貧乏人故に)でも、駅近を狙う。さすれば間違いなく、病院も役所も、そして、警察も近くにある。しかも、歩いて届く距離の範囲内にだ。それを意図も簡単に達成してしまうのが、都心のマジックであり、公共交通網が整備された都会の強さだからである。鶏と卵。人口が多いから交通網が発展する。そして、その逆も真成りなのだ。さはされど、一度都心近くに住んだ我が家は、都心への憧れを捨て切れず、この十年近くを無為に過ごして来た。さて、困った。都心は無理だし、僻地も飽きた。何処に住もうか、日々悩んでいる。